世界中があなたのことでいっぱい

あらちかじゃすてぃす!

理由はきっと、いたってシンプルで。

 

 

「TravisJapanでよかった」

 

 

 

宮近くんがそう言っていたことを、実は公演後に知った。Guy's PLAY ZONE2018のあと、family〜ひとつになることの前…、ふぅっと整える呼吸の続きみたいに、宮近くんが何か言ったあと、会場が揺らめいたのは覚えてる。なんて言ったの……?って思いながら、うずうず聴きたくなるくらいには上手くなった歌声に陶酔し、何をしてもしなくても過ぎていく時間と色とりどりに目の前に揺れるペンラの波に身を任せてた。気持ちは切らしてないんだけどな。自分そういうとこある。ちな()宮近くんはずっと顔が…、もとい、顔もかっこいい。

 

会場を出てから、宮近くんかっこいいこと言う!!って言われて、????ってなってたら、友達になんであんな大事なこと聞いてないんだとおこられた(笑)そりゃそうだ。本気で耳の穴かっぽじっておくのはここだっただろ。ほんとにほんとに大事なことって1回しか言わないんだよね。ごめめめ。

 

(今から書いていくのは、まとまってすらない超超超個人的な雑感だから、読んでくださる方はふーんくらいで流し読みしてほしい。)

 

この言葉を宮近くんが言ったのは、幸大くんの方をみながら歌ったGuy'sのあとだった。幸大くんに今年もやってますって伝えてるような、そんな顔してるように見えたGuy's。ほんとにPLAY ZONEが好きなんだな…、痛いほど知ってたつもりだけど。やたら良い顔してんのが嬉しくてぐっときた。

そして幸大くん、今年も来てくれてありがとう!今回のサマパラでは、PZとSHOCKが共存するグループになっていること、そんな新しいTravisJapanの強みをパフォーマンスで魅せることがテーマにあるんだなって気づいたとき、SHOCKの名曲と隣り合うナンバーはGuy's PLAY ZONEで間違いないと思った。

でも、頭では理解していて、心が頑なに理解してくれないみたいな状況がずっとくるしくて。幸大くんが来てくれたことで、個人的に受け止めきれなくて野放しにしていた思いが少し落ち着く場所を見つけられた気がした。自分の中にある青山劇場の記憶、さらには昨年の思い出を必ずどこかに熱く抱えたままにしてたから、正直初日の衝撃ったらなかったし、今年Guy'sを組み込む意味みたいなのをすぐに理解できてなかったんだなぁって思う。今年はまたそれぞれの楽曲へ預ける思いや、位置付けが違ったんだよね。こちらの行き場がなくなった思いはサマパラ終わってから自分なりにちゃんと回収しました。

 

今年のサマパラの、自分が入ったどの公演よりもPZに想いを馳せてたように感じたこの日のGuy's。(勝手にね)

そのあとにこぼれた「TravisJapanでよかった」という言葉は、ほんとにまたいろいろこちらにも思わせてくれること言うよなぁって思う。こうしてブログになった。(知らんがな)

 

今、宮近くんが守りたいものはきっとたくさんある。時には、から回っちゃいそうになるくらいに。でも、彼自身もそれに守られていることをわかっているんだろうな…なんてね。

 

最近、宮近くんはなんでTravisJapanなの?とか、なんでトラジャにこだわるの?って友達から聞かれた。トラジャ担にも、他担にも。本人に聞いてくれ!wって思うけどまぁそういうことではなくて(笑)正直TravisJapanに宮近くんがいることは自然なことなんじゃないかな…と思っていて。っというか私自身は今まで宮近担をしてきて、少なからずそんな疑問を持ったことはなかったんだよ!わたしは、ね。

 

Twitterでもちょろっと呟いてみたけど、宮近くんがTravisJapanにいる理由はいたってシンプルかつ純粋なもので。

「踊ることが好きだから」

これに尽きるのではないかと思ってる。

 

選んだ、とか、そこにいる(所属してる)とか、こだわる、とか。言葉の綾でとらえ方が違ってくるから、曖昧になってくる部分もあるけれど、とりあえずこのまま文章を進めてみる。

 

かつて、いわゆる推されとして活動の幅が広かった宮近くんだから、セクバとTravisJapanどちらかを選ぶみたいな分岐点が、人知れず彼にも訪れていたのかもしれないなぁなんて想像はできる。揺れた時間、選ぶ瞬間。いや、そんなものなかったかもしれない。いつのまにか、セクバがなくなってたのかも。でも、なんでだろ、宮近くんがTravisJapanにいることって、ビスケットがビスケット以外の何者でもないくらいに当たり前というか、なんかそう思うんだよ。たぶん踊る君を好きすぎるからだとは思う。

セクバにいるときから宮近くんの代名詞でもあったダンスだけど、2014年のありがとう公演でわたしは初めて青山劇場に立つ宮近くんをみた。セクバにいるときとは全然違う表情をしていて、水を得た魚のように気持ち良さそうにしていた。その小さな体はしなやかに、体力の限界まで宮近海斗の全身全霊で踊っていた。セクバにいるときにはみられない宮近くんの表情がそこにはあったと思う。自分がいる場所によってチャンネルが違うみたいなことを当時彼も言ってた気がするけど本当にそんな感じだった。

ちな()宮近くんにとって当時2年ぶりの出演となったPZ2014は青山劇場宮近ただいま公演って勝手に呼んでる。

そんな熱い夏が終わったあと、セクゾバックのMJだったかなぁ〜…、たぶん(笑)テレビに映る宮近くんはやたら男前になっていて、ダンスへのアプローチもガラッと変わったなって思った。PZで踊り込んだ夏は、頑張った分だけその成長を約束してくれていたなと思う。

 

PZ2013の頃だったか、セクバにいながらTravisJapanから出張してきたと自己紹介する宮近くんのエピソードに胸を焦がした思い出がある。ステージ上にはいつも素直に気持ちがあるひとだなと思うから、心からの言葉がそこにあったのだろうと思ってる。“TravisJapanにこだわる”という意識にフォーカスするなら、そのときのほうが強かったような気がするし、宮近くんのグループへの帰属意識はそれはそれは愛おしかった。当時は弟組がメディアに出ることも多くて、グループの名前だけが歩いていた時間のほうが長かったかもしれないけれど、それでも彼に居場所があることが単純に嬉しかった。

記憶にあるのは、雑誌のモノクロのページの一コマに、おちょけたポーズでごめんねしてる宮近君。「青山劇場にごめんね。」劇場に謝るやついるのかよ。彼のアニミズム的思考がすきだって話はよくするけど、宮近くんは青劇とPZという場所を愛しすぎてた気がする。w 

ただ、わたしは単純に踊る宮近くんが好きだから、その踊りたくてうずうずしてる感じが嬉しかった。どんなときもダンスだけは宮近くんの味方だったと思う。翼くんや、尊敬する屋良さんをはじめ、ジャニーズの踊れる精鋭たちが集まって、そのパワーをびしびし感じながら、ほぼ毎日気持ちを、パフォ―マンスを高めながら踊り続けた夏の経験は、現在の宮近くんにとっても、すごく力になってるんだなぁって感じることは多々ある。

 

そして、足元にたくさんの音符を元気に弾きながら、時には水面に波紋を描くように穏やかに、楽しそうに踊る姿は今も変わらずステージにある。そんな宮近くんをみていられることが幸せだと思う。だから担当なんだよな。

 

TravisJapanといっても、この数年で“グループ”としての在り方は日進月歩で変わってきていて。これまでのグループの変遷なくしては語れないこともたくさんあるし、それにともなってフラッシュバックしてくる懐かしい景色もたくさんある。思い出すたびに心地良くも、切なく痛くもある。

ただ、宮近くんが彼らしく気持ちよく“踊れる場所”がTravisJapanにあることだけは、昔からずっと変わってないんじゃないかなって思っていて。

仲間のデビューを経て、“今”のTravisJapanにいる意味は、そうだなぁ、、彼の中にはたくさん思うことがあるかもしれないけれど。

もう、別に何かを背負っちゃいないと思っていて。いつも宮近くんがひとりで…なんてもう言わせない。むしろ今やっと、彼なりに取捨選択することを覚えて、今までを宝物として抱きしめて歩くことが出来てるんじゃないかなと思うんだよなー。感覚的な話だからわかんないけど(笑)あとはもう、周りが彼をひとりにさせることなんてないんじゃないかなって。

 

いろいろ書いてたら、宮近くん信じて Compass of your heartみたいな気持ちになってきた(笑)ほんといつも、心のコンパスに従って生きててくれって思う。

 

 

ここまでそれっぽく書いてきたけど。決めつけでもなーんでもなく、ただわたしはそう思ってきたよってだけの話。

 

 

 

「宮近担でよかった」

 

 

 

泣かない今年の夏、めちゃくちゃかっこよかったんだから。

 いつもかっこいいけどさ。

 

 

 Sea.