世界中があなたのことでいっぱい

あらちかじゃすてぃす!

僕らしく君らしく、なんてね。

 

 

9人で始動してから、もう1年が経つ。

自分勝手な記憶のままに振り返りたくなりましたのでえんとり。

 

 

1年前の春、クリエ。なんてトンチキで超つまんなくて愛しすぎる始動だったんだろうと思う。

いろいろと散らかりすぎて割と本気で心配した当時。(笑)

同時に、始動という言葉の意味を考えては、実はまだこの人たちはグループとして始まってなかったらしいことがわかった。盲目故に、見たいように脚色されて見えていた部分は大いにあったんだろうなと思いながら、グループって、グループってなーに?と思ってなんとなく揺れていた。始動というテーマは、自分の中で何かがしっくりこなかった。ずっと彼らはグループだと思ってた。

それまでに自分の見てきた夢と、目の前で確かに流れていった記憶を重ねて、自分なりの定義のようなものをまた新しく構築していく時間なのかなって思ってた。ただ惹かれるままに、自分勝手に。 

いろんなタイミングのずれとか、すれ違いでなかなか集まれなかった9人が、ひとつの舞台に集まれたこと。小さなステージだけれど、そこにコンサートを成立させるって当たり前にできることじゃないんだなって、新鮮に、そして特別に思えた。その瞬間をずっと待ってたんだ。

 

地に足がついてないような、思い出すとちょっとくすぐったくなるような。手探りでも気持ちを込めて作られた時間が愛しくていじらしくて楽しかった。彼らは、確かにあのとき始動した…、はずだった。

 

そして、夏がやってくる。

どこからか、メンバーが減るかもしれないという噂が立った。火のないところに煙は立たずであって、考えてみればそれまでに思い当たる伏線はたくさんあった。でも、頑なに信じたくなかった。シンメが当たり前じゃなくなる日が来るなんて。だって春に始動したじゃない!と(笑)ただ、時間は待ってくれなくて、楽しい時間だけがどんどん過ぎて、気持ちだけが置いてけぽりになっていった。はっきり提示されないまま近づくリミットが苦しくて、なんとも言えない下がり眉となんとなく空元気を感じてはただただ心配になり、ふざけて笑って楽しいのに、もどかしさでいっぱいだった。

夏祭り期間の休演日は少年収だった。台風だったのを覚えてる。

そしてその収録ステージに、今六本木の同じステージに立ってるはずのメンバーが居ないとの知らせが飛び込んできた。見間違いじゃなければ、8人だったと…

翌日、六本木のステージには変わらず9人が立っていて、8人だったのはうそだったんだと自分に言い聞かせる日々が始まった。

この動揺を知っててもおかしくないのに、ブレることのない立ち居振る舞いを魅せる君がいた。なんだかとても大人な君に、わがままな自分の気持ちが置いてけぽりになった気がした。

彼らを窮屈な型にはめたい訳じゃないのに、どうしても肯定できない自分の感情を責めたり、勝手にいろいろ勘ぐっては落ち込んだ。

一分一秒が全部宝物に思えた夏、自分でも呆れるくらい、情けなくも感情の落ち着け方がわからなかった。一度だけ、友達に電話しながら泣いてしまったこともあった。自分のみてるひとたちは、いつか思い出になる今を乗り越えていけるひとたちだってこともどこかで信じていて、だけど、そうやって思い出になるのも嫌で。春に始動したのは、結局何だったんだろう。やさしい君のことだから、人の気持ちをわかるひとだから、きっとどこかで一緒に傷ついてるんじゃないかなって勝手に思ってた。

 

秋の知らせが届くころには、この過ぎた季節を「錯綜」と表した君。全然大人になれない私は、この夏から年が明けるころまで、しばらくはわがままだった。

彼が守ろうとしていたものを今でもたまに思い出すようにしている。いろんな思いがあったのに、時間とともに傷が癒えて、忘れてしまうことに抗いたくなる。もう別に忘れちゃえばいいのに。つらかったことは楽しい思い出にどんどん上書きされて忘れていくのに。

 

秋には、日生劇場に凛と立つ君がいた。

夏の余韻はこちらだけで勝手に、そして結構大事に引きずっていた。秋が深まるにつれて、自分の中でどうしようもなく置いてけぽりにされたと感じていた何かの正体が、本当のことなんて知らなくて良いよと無言で突きつけられているようなさみしさだってことに気が付いた。どんなに頑張っても、提示されたこと、見えたものでしか感情は動かない。あとは、勝手に妄想することしかできない。

秋の日生には、夏の六本木に忘れ物をしたままの自分がいて、ステージを楽しむことに対してはやっぱり妥協を許さない自担の姿があった。信頼している君のショーマンシップ然り、いきいきした笑顔が見られて嬉しかったし、底なしにわくわくした。相変わらず、舞台に楽しそうに立ってるのが好きだった。音譜を蹴るように弾くように、照明も音もステージをすべて味方にして踊ってるのが大好きだった。見るたびにずっとずっとかっこよくなっていった気がした。

かっこよくなった理由も知っている気がして、ちょろヲタは夏の自担から秋の自担に担降りした。

きっとわたしは、とんでもなく情けない顔をして、気心知れた友達にこれでもかと最大級に惚気てみせていたと思う。 君は19歳になっていた。

 

 知らないことの方が圧倒的に多いし、知らない世界だからこそ美しくて、こちらで都合よく愛せることも痛いほどわかってた。現場終わり、切なさに似た感情と一緒に流し込んだお酒は、皮肉にも最高に美味しかった。

 

冬は帝国劇場に居た。

こんなにコンスタントに現場があって、宮近担ができることが単純に楽しかった。どの舞台にも、君の代わりはいない。

そしてそれは夏以来、大好きなふたりが同時に立つ舞台がめぐってきたということでもあって、妙に緊張した。グループが違うふたりが、初めて同じステージに立った。ふたりがすれ違うだけ、目があうだけ、たったそれだけ。いつものあらんとみやちかだった。ただし、ふたりはもう、元シンメだった。

 長期舞台のつかれからか、たまに魂が抜けて顔が死んでて、心配したのも久しぶりだった。

自担の演じ躍るセンスが好きだから、スノードームに閉じ込められて踊る姿は至高だった。2回しかみてないけど、1万回以上は脳内再生されてる。誰がエアー抽選器やねん。

そういった理由で、すののアクロバティックはとっても好きな曲になった。ちょろい。

1月には、戸塚ソロでまんまとしめちゃんに堕ちた。あのときばかりは本気で堕ちた。七五三掛担に、しめちゃんがかっこいいと、七五三掛担にとっては至極当たり前のことをすごいことのように話してしまった。自担が隣にいるのに、鮮やかにフレームインしてきたし、朝日と拡輝以外で視線泥棒されたのは初めてだった。ちょうどそのタイミングだったか、しめちゃんには外部舞台が決まった。メンバーの吉報がとても嬉しかった。

 

そして自担にも何か決まっていると思っていた。今思えば、少しの負けず嫌いだったのかもしれない。でも、舞台をみてただ漠然と思っただけのことを、周りに自慢していた。何かが違う、なんであんなに何かを決意して踊ってるんだろう…、なんか決まってると思うんだよね、と。わたしは、帝国劇場という大舞台で、リアデラ、ALLJr.の0番に立った宮近海斗の姿は絶対忘れないと思う。

帝劇に立つまでにいろんなことがあったから、だからきっとかっこよく見えるんだ、と浮かれていた。浅はかにもほどがあったと今になって思う。本当の理由を3月に知ることになるなんて予想だにしなかった。

 

12月、1月と長期舞台に恵まれて、SNSを通して自担の勇姿が伝わってくる毎日はとても有意義だった。スマホがあるだけで、手のひらサイズに幸せが溢れていた。ただ単純に仕事を頑張れた。これがアイドルのすごいところ。明日の仕事のモチベーションになるのだから。

そんな贅沢な毎日が終わるころ、2月は現場がないのにどうやって生きようかと、ジャニヲタとして生きる方法を考えながら、真面目に悩みもがき苦しみながら社会人をし、たまに鼻歌を歌って過ごしていたら3月になった。

 

3月1日、1月に観て感じた君の決意は、外部舞台が決まったのでもなんでもなかった。まったく、違った意味での決意だった。唯一無二のメンバーの背中を押した君は、どこで何を想ってたんだろう。また仲間がひとりグループを離れ、ひいては事務所を離れた。大きな存在だった。

 

夏から抱いていたもやもやも、3月のさよならのことも、あとから雑誌で語られることになる。いろいろ勘ぐっていたこともあながち間違いではなかったけど、限られた文字数に込められた思いを少しでも受け止めようと思った。同情売りでもなんでもなく、数ヶ月でめまぐるしく起きていったことに対しての思いが少しばかり語られていた。会話がメンバーの声で鮮やかに脳内再生される。自分次第で変わる未来、どうかみんな幸せになってほしいと願う。

  

 

そして、また春が来た。

昨春、少しの不安とこれからの希望に満ちていた9は、なんだかめまぐるしい1年を経て、確かに歩みを進めていく7になった。

 

しめちゃんは名匠と最高の先輩方の下で再び日生劇場に立っており、一方ではジャニーズJr.祭が開催された。

音楽劇マリウスは、なんと光栄なことに初日に観劇できた。そして七五三掛担の隣にお邪魔した。マリウスの航海へのあこがれや、舞台に彩られるマルセイユの人情の世界に、澄んだ目をしているプティに、心の花束を何度も贈り、ぽろぽろ泣いた。

千秋楽は、しめちゃんと七五三掛担が泣いていた。一緒に乗り越えるってきっとこれだって思った。しめちゃん、素敵な舞台の千秋楽おめでとう、おつかれさまとありがとう。

 

横浜アリーナでは、情熱の一夜にTravisJapanの意地をみた。サビだけの数秒が上品でいて、美しくて、誇らしかった。何をなんと言われようとも、これだと思った。あの青山劇場に立っていたひとたちなんだから。

生きたように踊る照明、大胆な舞台装置に支えられて踊ったこと、PZカンパニーの一員だったことは彼らの誰にも負けない強みだと思う。

 

さいたまスーパーアリーナは、スムーズに入れナーイ、席ナーイだったけど(笑)、楽しかった。さいたまで組み込まれたチャチャチャチャンピオンは過ぎた夏を一気に思い出させてくれた。古傷は少し傷んだけど、それでも同じ曲を選んだ彼らを大好きだと思った。如恵留くんの歌声も、朝日のうーべいべも。うみちゃんは歌うまくなりましたか?自担のトラジャチャンピオーン!!!がさいたまスーパーアリーナに響き渡ったことも、最高だった。TravisJapanがTravisJapanである自分たちを誇りに思ってる瞬間がたまらない。

 

今の彼らを全力で大好きだと思った。

 

そして、私的に勝手に配合禁忌だと思っていたふたつのグループが、同じ曲の中で綺麗な色を魅せてくれた。彼らの間には確執なんぞ最初から存在すらしていなかったのだろうけど、もうええだろって誰かが言ったのか、らぶとらコラボ。最近はふたつのグループでかわいい顔して雑誌にも載ってやがる。

だけどまぁ、中でもやっぱり一番かっこよくてかわいいのは自担だと思ってるよね。

 

最近は友達と、 

 

もう大丈夫だよ!

うん!大丈夫だよね!

 

という会話を何度かした。何が大丈夫なのかはあえて掘り下げない。

自担が楽しそうに笑っていることが答えで、自担のコンディション、一挙手一投足に敏感で、自担が人知れず泣いた夜があってもなくても、これからもどこかでわかっている気がしていたい。

 

自担が一番かっこいいって何度も思ってきたはずなのに、現場に入るたびに前回以上にわくわくして、はっぴーな気持ちでいられて幸せだった。

これからも言葉に表せない感情ばかりが溢れたらいいと思うし、どきどきしすぎて何ひとつ覚えていなくていいと思う。

 

桜は満開、君はグループのセンターとして、0番に立っていた。あれから少し大人になった君は、TravisJapanの顔になっていた。

 

また、クリエが始まる。7色が魅せる、新しい景色を楽しみにしてる。

ずっと9でいたことは嘘じゃない。こちらの勝手ですが、やっぱりこれからも9は仲間でいてほしい。

どんな方向を見ていても、綺麗ごとばかりでなくても、みんなで一緒に歩いたひとつの道は確かにあった。

 

ずっと好きでいると思うなよ?と謎にそんなことを考えるときもある。でも、他の誰かに降りてしまう自分には、今の所まったく興味がなく、自担を好きな自分を好きでいる以上は無理なんだと思う。これからもきっと、好きに似た感情に振り回されていたいと思うし、一喜一憂したい。

 

いろいろあったけど、今も宮近担なのは、宮近くんが宮近くんだからだよね。という結論に至っている。 

 

今年、はたちになる。

 

 

 

Sea.

 

 

p.s.また、夏がやってくるらしい。あのときと、同じ場所に。